ヤマナハウスの発起人で「村長」と呼ばれているのが永森さん。ヤマナハウスをなぜ立ち上げたのか。どんな変遷を遂げてきたのか。ヤマナハウスをつくり続けてきた立場から、改めて語ってもらいました。
話し手:永森昌志さん(ヤマナハウス代表)
「拡張性」をキーワードに、ヤマナハウスを始める
――どういう経緯で、ヤマナハウスを始めたんですか?
永森さん:記憶をたどると、2014年に初期メンバーたちと足を踏み入れているんですね。近くにある農家レストランの「じろえむ」さんとその前に出会っていて。メンバーで活動できる場所を探していると話したら、ある日紹介してくれたんです。ただ、最初の紹介は「結構ハードル高いぞ」と。当時の写真を見てもらうとわかると思いますが、屋内にかなりモノが残っているし、壁がはがれているようなところもあるし。ここを使うなら片づけから始めないといけないという感じでした。
――それで2015年頃からメンバーで活動を?
永森さん:もともとシェア活動の前身として、千倉エリアの方でシェア別荘や共同オーナー制の田んぼ活動をやっていたんです。ただ、もっと拡張性を持ちたいねという話が出てきたんですね。その別荘は築40年くらいの普通の一軒家で、庭もさほど広くなくて。皆でわいわいする活動は楽しかったのですが、あるものを享受する感が強かったのかな。その点ではいくらでも手を入れる余地がある場所が、ヤマナハウスでした。ここを借りることにして、2015年頃からメンバーでの活動を始めたと思います。
――里山ありきというわけではなかったんですね
永森さん:たまたま里山にある物件だった(笑)。ただ活動を始めてから、里山について改めていろいろと学びました。人手が入らないと里山は荒廃してしまい、それがまた獣害などにもつながっていくんですよね。主屋も含めて里山全体をフィールドにしようと、初期に意識したと思います。
「こうあらねば」と固定せずに、変化するのがヤマナハウス
――メンバーは段階的に変遷していますよね
永森さん:そうですね。初期メンバーはもともと里山というよりも、田んぼやシェア別荘に関心があった人たちなんですよね。しかも最初の1年は片づけばかりでしたし・・・。生活環境が変わる中で変化する人もいて、一時期はメンバーがかなり減りました。
――なるほど
永森さん:でも2018年頃から新しい人が増え始めたと記憶しています。ホームページも強化したり、僕がイベント等に呼ばれて話をしたりして、発信ができるようになったのも大きかったのかな。この地域で活動をする人たちとのつながりが広がったのもあります。たとえば今も大活躍してくれている“2人の高橋さん”は、この地域で「DIYマフィア」と言って、「助っ人DIY」的に活動していた人たちだったんですね。それがあるとき、何かの手伝いに来てくれて。ここでの活動を面白がり、参加してくれるようになりました。
――いる人によって活動の色が変わるのも特徴ですよね
永森さん:そうだと思います。初期メンバーのときには農作業系もやっていて。今は建築DIY好きメンバーが増えたことで、その色が強いかもしれません。基本的には「来るもの拒まず、出るもの追わず」ですね。「こういう状態でありたい」というのもあまりないかもしれない。変化ありきで楽しむ感覚です。月2回の月例アクティビティの参加についても毎回参加する人もいれば、数ヶ月に一回参加の人もいて、それぞれにとってのちょうどいい関わりかたを前提としています。
――今の運営体制はいつ頃からでしょう?
永森さん:それも2018年頃だと思います。イベントや交流会で最初は出会ったと思うのですが、しばらく参加してくれている中で、僕から依頼しました。地元出身の溝口くんと、獣害対策を通じた人脈の深い沖さんと、この2人が関わってくれれば運営もしやすくなるなあと。今もいい感じで分担できています。

みんなで共有できる「サードプレイス」がここに
――もともとご自身も二拠点生活をしていたんですよね?
永森さん:そう。2007年から、東京とこちらでの二拠点生活は始めているんです。仕事は当時、会社員で、その後転職をして、2010年くらいに独立しました。Web制作などを手掛けていたので、実はパソコンさえあればどこでも仕事ができる。で、あるとき、「この仕事、東京にいなくてもできるのでは?」という心境になったんですよね。その頃には今住んでいる平群地区というところの一軒家をすでに借りていて、拠点があるから住んでしまおうと思って、東京の拠点を解約しました。
――ちょっと興味があるのは、ヤマナハウスに住むのではなく、あくまで家とシェアスペースはわけたという考え方なのですが
永森さん:確かに。ヤマナハウスって今、メンバーにとってのサードプレイスになっていると思っているのですが、僕にとってもそうなのかもしれません。自分の家をメンバーに開放するのと、みんなで共有する場所というのは、ちょっと意味合いが違いますよね。僕も誰もヤマナハウスに住んでいないので、ヤマナハウスは後者に当たりますが、実は里山というのはどこも私有地で、自由に使える場所というのは少ないんです。「遊べる里山を探していた」と言った人もいましたが、まさに、やりたいことをやれる場所として別個で考えていました。
――自由に楽しむ雰囲気はありますよね
永森さん:そうそう。フィールドはあるので、それぞれが自由にコンテンツを持ち込んでくれたらという感覚ですね。生物調査やジビエというのはわかりやすいコンテンツだけれど、もっと幅広いものがあってもいい。料理家・木村さんが参加してくれて、食のDIYという文脈もできてきました。
――メンバー同士で発展したコラボもあると聞きました
永森さん:今はちょっとお休みしていますが、ジビエバーガーのキッチンカー販売を始めたメンバー夫婦がいたんです。その背景には、肉の仕入れ先としての沖さんや、キッチンカーの相談ができた高橋さんなど、メンバーで知り合ったことも大きかったと思うんですよね。サードプレイスというプラットフォームから何か新たな話が進んでいくのは、すごく面白いなと思っています。

いくらでも「余白」がある場所を、もっと楽しんでいく
――外部とのコラボも起こっていますね
永森さん:たとえば去年、ALIVEという企業の異業種研修とコラボして、参加者40人くらいを受け入れました。いい体験になっていたらうれしいのですが、僕らにとっても普段聞かない意見が聞けて刺激的でした。あとは衆議院議員の方が2019年の台風見舞いで訪れてくれたことが縁で、東京都江東区の方々との交流が続いています。先方が来てくれたり、僕らも江東区のお店を回ったりしました。
――ヤマナハウスというのは、どんな場所だと思いますか?
永森さん:サードプレイスという言葉を何度か出してきましたが、誰かの所有ではなく、メンバーみんなに「自分の場所」という感覚があるんじゃないかなと思っています。「寄合」という感覚も、結構近くて。僕がすべて決めているのではなくて、みんなであれこれ話しながら、最終的に何となく決まっていく。たぶんこれが「会議」ではなく「寄合」だと思うのですが、それを楽しんでくれる人で一緒につくり続けている場所ですね。
――この先に向けては、どんなことを考えているんでしょう?
永森さん:里山には、いくらでも「余白」があると思っています。だから、いくらでもやりたいことを持ち込める。今から畑を始めたっていいし、屋内でやる活動が増えたっていい。みんなで楽しみながら、活動も、想いも、拡張していけたらと思っています。一方で、2014年からカウントすると、来年で10年が経つんです。今の「村長」役割はこのままでいいのか。継続の仕方について考えることもあります。地域の人に許容してもらって今があるという気持ちも大きいので、そこらへんは忘れずにというところですね。

コメント